嶺北で半世紀

“奇跡”の巨峰栽培に成功しました!

ミシマファームは、四国のちょうど真ん中あたり、高知県土佐郡嶺北地域(海抜210m)にあります。四国山脈の中腹に位置し、四方を山に囲まれ、吉野川の源流やその支流がいくつも流れる自然豊かなところです。林業と農業の盛んなのも自然の恩恵をたくさん受けているから。山の峰と棚田が美しい田園風景を創り出しています。

 1965年、ミシマファームの先代がまだ主に温暖な地域で行われていた巨峰栽培を、昼夜の寒暖の差が大きく標高の高いこの地に巨峰の苗を植え、恐らくは四国で初めて巨峰栽培を始めました。当時は巨峰栽培自体が珍しく、失敗の連続でしたが日本各地を飛び回り栽培技術やノウハウを習得しながら半世紀以上巨峰と向き合ってまいりました。その努力の甲斐あって、今ではこの地域にも後に続く巨峰農家が点在しています。その先代による巨峰栽培も順風に地域で根付いて久しくなった2004年頃から様相が一変しました。

 

 

母、和子が病床につき、翌2005年4月に亡くなり、続き父、義雄も病気で農作業が出来なくなり2011年12月に亡くなり、実質、2005年から巨峰農園の世話が出来なくなってしまったのです。

その間に、家を守っていた私、3女のこずえが兼業で農園の世話をするものの、広い農園の作業はままならず、消毒はおろか雑草は生え放題、ぶどうの樹の剪定や房落としなども手が回らない状態が約7年続きました。その間に不思議なことに気付いたのです。

「消毒をかけていないのに、

 毎年ぶどうの実がなる」ことに・・・

 

恐らく母親の役割だった農薬散布作業が、病床に着いたころから出来なくなり、そのころから圃場内に虫やミミズ、土着微生物などが定着し始めバイオサイクルが形成され、ぶどうの樹も過酷な状況下にさらされることで病気に対する耐性がついたのではと考えます。今は結婚して夫婦二人で農園を切り盛りしています。結婚当初二人で相談して決めたことがあります。

「たとえ一粒も

 ぶどうの実が実らなくても、

 消毒をするのはやめよう」

 父と母が残してくれたぶどう園。二人とも70代の若さで他界しました。それが全て農薬のせいとは言いません。ただ、父母がせっかく残してくれたこの農園の環境を、私たち夫婦がこれからも動物や植物、ありとあらゆる自然の生き物と共生できるように守っていきたいと思っております。

 

そして、何よりも私たちのぶどうを食べていただける全ての方に、安心して食してもらえるようにこれからもこの「約束」を守り続けていきます。

 

ミシマファーム

山中 こずえ

   敏雄